トリオ・ニテティスのその後
ココログから、半年未更新だとの連絡メールが来た。
1年未使用だとブロックされるシステムになったらしい。
他のココログ・ブログは海外からのコメントが送れないのでこれも今そうなっているのかもしれない。
便利になっていくのか不便になっていくのか分からない。
で、近況報告。
私たちは私のうちでの練習を再開している。
コンセルヴァトワールでの練習の再開は月末の予定。
中止になったコンサートの再開などは今のところ考えていない。
今一番まいっているのは中学で音楽を教えているHだ。
全員マスクが義務なので、大声を出さないといけないし、歌の練習などというのはほぼ不可能。
音楽鑑賞が中心になる。生徒の表情も、誰が発言しているのかも分かりにくい。
長時間のマスク着用で生まれて初めての偏頭痛を体験中だという。
Mはコンセルヴァトワールの一室での「個人授業」だというのにマスクが義務で、生徒が弾いている時は後ろに下がってそっとマスクを下げているそうだ。こんな余計なストレスは確実に不健康だと思う。
うちでは私たちも生徒も生徒の親もマスタークラスも、すべてマスクなし。
ピアノの鍵盤は一応消毒している。でも特に子供の生徒には、音楽の楽しみを伝えるのが第一義なので、一緒に歌うし、マスクはしないと最初から言っている。まあ私は生徒の祖母の年代だから、一般論で、よりリスクをとるのは私の方だから問題ない。
私はコンサートや旅行が中止になった分、いろいろゆっくり考えたり読んだりする時間ができたので今はアウトプットに励んでいる。
バロックバレエはマスクなしで踊れるのでレッスン再開。
それでも、HやMが積極的にバカンスに出かけていたのに比べて、私は少なくとも「消費活動」は停止に近い。ショッピングという考えがまったくなくなった。書店にさえほとんど行かないし、本を注文して取りに行くだけ。マスクしてあれこれ手に取って回るという気がしない。
日本に行くコンサートの航空券は全額返却してもらった。延期すれば12ヶ月有効ということだけれど、来年の復活祭休みは今年より2週間近く遅いので、もし再チャレンジしてももう使えないから。
来年の春が一体どういう事態になっているのかは分からない。
ひとつ確実なのは、MやHは、可能になれば今年のプランと同じことを来年することに何の迷いも持っていないということだ。
頼もしくてうれしい。ただ、例えば大阪で主催してくれる仲間たちはみな私と同年代の方たちで、私たちの年になると、1年の差は大きい。今年元気でも、来年は健康上の問題が出てきているかもしれない。特にコロナ禍でストレスも大きかったし、コロナで失った時間が人生の残り時間に占める割合は大きい。子供たちの失った時間が彼らの生きてきた時間にが占める割合は大きくてかわいそうだと思っていたけれど、人生の残り時間に占める割合はごく少ない(彼らがこれから他のウィルスやら戦争やら異常気象の犠牲にならないことを祈る)。
でも、だからこそ、生の音楽でだけ共有できる「永遠」を届けたい。
私は外出規制の間、もうコンサートのプログラムをさらっていても意味がないので、毎日ソロのレパートリーを暗譜し直すことにした。何十年も弾いていなかった曲もあった。その中で、前は、テクニックの維持などでレパートリーに入れていた曲などが、実は大して心を打たないということが分かった。逆に、誰でも弾いている定番の「禁じられた遊び」だとか「アルハンブラの思い出」などが、その深部にいくらでも入っていける奥深さを持っていることが分かった。ネットでZoomアンサンブルやらヴァーチャルコンサートの配信をいくら視聴しても、胸に抱いたギターの弦からこぼれる音の震えが与えてくれる慰めは得られない。ピアノもショパンやシューマンを少し。踊りはバロックバレエの振り付けをいろいろ考えた。
日本の状況ももちろんパラレルに観察していた。
沖縄の状況に関しては、米軍基地をクラスターとする感染拡大のニュースに驚いた。
こんな完全な治外法権の弊害を、安全、環境汚染などばかりでなく、感染症まで垂れ流されている状態とは驚きあきれる。2か月後のアメリカの大統領選がどうなるのか、それがどういう突破口になるのかならないのか、様子をみたい。
日本政府の姿勢は、政治や外交のバランス、平和志向や沖縄の人を守るなどという発想がまったくなくて、「アメリカの言いなりになっていれば株価を維持できる」というのが優先事であるように見える。
私たちが音楽を届けることで、沖縄支援を表現できることはトリオの誇りでもある。それに賛同してくれた大阪の仲間のことも誇らしい。
1年後になろうとその先になろうと、やはり何らかの形でこのコンサートを実現させるために、最大限の努力をしようとあらためて決意する。
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