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2026年9月 3日 (木)

2026年の新学年が始まった

このブログを半年更新していない、と警告 ?がサーバーから送られてきた。

確かに、今の時点では来春の沖縄公演も決まっていないし、Buryの新しいプログラムに挑戦して、コンセルヴァトワールのホールで披露した以外にこれといった公の活動をしていない。Mの音楽学校リタイアの時期がさらに少し延びたし、一方でクレタ島のアパルトマンで過ごす期間が増えるなど、トリオのスケジュールも不安定だ。

今はフランスの新学年の始まりなので、Hはヴァンセンヌのコレージュに戻ったし、Mも音楽学校の新規登録事務に戻ってくる。

私だけがあいかわらず、同じ場所を動かないのだけれど、この夏の暑さ(熱波、熱帯夜)のせいで、仕事もはかどらず、というかほぼ放棄して、ピアノもギターもヴィオラにも触らない日が続いた。(ピアノだけは蓋を開けておけば、家具みたいなものだから、前に座って少し弾くことはある。でも、いちいちケースから出したり調律したり譜面台を調整したりするギターやヴィオラは、夏バテの身にはハードルが高かった。

ギターについては、Hはトリオで弾く以外にはほとんど触らない。彼の主要楽器はチェンバロだ。Mは、クレタ島の別荘にもギターを持っていく。彼女のパートはテクニックをコンスタントに維持する必要があるからだ。

で、9月になって私もそろそろ生徒の親からのレッスン時間の問い合わせが始まり、少しは準備しなくては、とMとHへLINEで連絡したら、Hが、家族の健康状態のことで切羽詰まった状態であることが分かった。私はすぐに返信し、その後3人のやり取りが続いたのだけれど、3 人の結論が、私たちはこの30数年を通して、フランス・バロックへの感性で結びついてきたのだけれど、それは全人間的なものだったのだね、という新たな確認だった。

私たち3人には、年齢も出自も性癖も家庭環境や暮らしも、見事に共通点がない。

私が最初にHと会った時の彼は16歳になる少し前だった。Mと会った時の彼女は28歳だった。今は、それぞれ50代、60代、70代だ。

彼らは何度もパートナーを変えたし、引っ越しもしたし、人生のいろいろなドラマを生きてきた。安定していたのは私だけだ。私のような人から見れば、彼らの人生は、嵐のようなものだ。それでも、音楽と演奏に関する感性の底にあるものが共通している。

HもMも国立大学の音楽学を習得しているし、コンセルヴァトワールでさまざまな理論も学び、Hは音楽のアグレガシオンというフランスで最高の資格を持って公立学校で音楽教師をしながらいろいろな活動をしている。Mは楽器の教師としてこれも最高の国家資格を持っている。二人のセンス、作曲や編曲の能力、バロック音楽演奏への理解度はずば抜けている。

彼らに比べると私は子供の頃からピアノを弾いたり歌ったり踊ったりしてきた以外に何の資格も持っていないし、パリの音楽師範学校に在籍したことがあっても卒業はしていない。私の唯一の才能は、彼らの価値を認識し、彼らが私と同じ何かを持っていることを見抜いた直感力だし、それを彼らに言語化し、3人で少しずつ、理想の何かに向かって歩いて行ったことだ。もちろん、人一倍繊細で傷つきやすい彼らが人生の苦難の前でドロップアウトしそうになったこともある。でも、私は、彼ら以外とはこのような出会いを期待できないことを知っていたから、自分から背を向けることはしないでいつもずっと待っていた。

で、今、彼らは、それぞれ、自分が強くなれたのは3人の絆があったからだ、と明言してくれる。

もちろんその絆にはミオンやラモーやビュリーやモンドンヴィルの音楽があり、音楽への理解があった。

音楽だけでも人は救われる。でもその救いの宇宙を共有し共に創造し、共に旅する仲間がいることはなんという「恵み」だろう。

私たちの喜びの時間と空間を共有できるコンサートの機会が日本でまた与えられることを願うばかりだ。

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